北海道 98年夏 Part 1
1998年 6月16日-7月23日
せっかちな様だが、新幹線と特急を乗り継ぎ一路、青森へ。そしてフェリーにて函館へと向かう。
眠い目を擦りながら東大沼のキャンプ場へとたどり着く。
ここからはハドソンベイ・スタートのつもりで数泊した後、いきなり自転車旅はスタートしたのである。
南茅部町
何の記念碑だかよく分からなかったが漁業の漁方に関するものであった。発祥の地だそうである。きちんとノートに控えて措かないと後で分からなく成ってしまう。
椴法華村(とどほっけむら)銚子
恵山(えさん)を望む。ここは活火山で、山頂には噴煙が見られる。山のこちら側と向こう側、そして中腹に温泉がある。しかし、自転車という事もあり、峠越えの後に温泉という事にする。
恵山町御崎の無料の露天風呂
峠越えをし、上の写真の向こう側に出る。海沿いの道を行けば小さな港に隣接した無料の小さな半露天風呂が在る。道路脇の防波堤の外側に位置する。
サンタロ岩
海沿いの旧道は下の写真の様な道、何があってもおかしくは無い感じ。
北海道の道は広い、なんて言うのは誰だ
沿岸沿いの道は狭い所が多い。ここは新道ができ、交通量も少なく成った旧道だ。往時の不便さが忍ばれる。
グレ電通信中
上ノ国町から江差町を望む。神の国って事かなぁ・・・上ノ国。
江差町
開陽丸、戊辰戦争で沈没した船を復元、船内は資料館に成っている。
江差町、カモメ島のキャンプ場
時期が早いせいもあり、貸し切り状態。しかし、キャンプ場までは石段を登らなくては成らない。荷物を積んだ自転車を上げる時には汗だくに・・・。
洗濯日和だったので2泊の予定で・・・。
江差町の高台からカモメ島を望む
ここから奥尻島に渡るつもりであったが、雨が上がらず、テントが乾かない。2泊の予定が1週間に成ってしまった。
奥尻島は諦めて北に向かう事にした。
瀬棚町
海岸は丸くて大きな花崗岩がゴロゴロ。写真を撮るのを忘れてしまった・・・。
昔、墓が在った?
島が花崗岩で生成されているのだろうか。未舗装路には花崗岩の採石が敷き詰められていた所もあり、とても私の自転車で通れる様な道では無かった。
北追岬の公園内に建つモニュメント
北方領土から追い出された人達の望郷を現すのか。きょうは、この公園内でキャンプ、雉が走り廻ったりしていた。
茶色の建物はホテル、温泉にも入れる。坂を下った港の傍にも温泉がある。
稲穂岬、賽の河原
写真の様な慰霊碑が島のあちこちに建てられている。きょうはここの公園でキャンプだ。
ここは北海道の霊場の一つであり霊感の強い人はとても寝られないだろうが、私は平気だ。単に鈍いだけ?
鍋釣岩
この時は改修工事中だった。こうして自然の驚異は人工の構築物へと進化?して行く。
この島自体も周りを高いコンクリで囲われようとしている。
西の河原トンネル
積丹半島を巡る道で最後に開通したトンネルだ。今回はここを通り半島を廻ってみたかったのだ。
半島の周りの海は素晴らしかった。天気が良かった事もあり、ボーっと海を眺めて道草を食ってしまった。
古平町、家族旅行村キャンプ場
月曜日のキャンプ場はひっそりとしている。週末は満員御礼札止め状態だったとの事。
幸い今日は天気も良く、絶好の洗濯日和であった。
余市町と言えばニッカウヰスキー
私は興味が無いので入らなかったが・・・ほんとうは有料だったから。
実は、ここに至る前に、狭い国道229号線で転倒し、車輪がメロメロ状態だったのだ。
町内の自転車屋で応急修理をしてもらったが、気分は最低であった。
札幌に来たら時計台?
改修工事中だった。市街地は信号が多いので移動速度がガックリと落ちてしまう。
札幌に入る予定は無かったのだが、テントのフライシートをバージョンアップする為に立ち寄った。
痛い出費ではあったが雨に悩まされ続けたので購入に踏み切る。
標準のフライは、出入りの時に雨が中に降り込んでくるのだ。
北広島市の新設のキャンプ場
広くは無いが雰囲気は良い。近くに民家があるので、キツネ成らぬネコが出没する。
テントにはバージョンアップしたフライが。前室が広いので雨が降っても少しは快適に過ごせる、だろう・・・と思う・・・。
岩見沢市の道の駅
なぜか水車が回っている。日本一の水車だそうだ。
さて、日本海側に向かう予定だったが、転倒時に歪んだホイールのスポーク折れを発見。また、前輪のハブの回転もおかしい。
フレームへのダメージも考えられるので、別の自転車で出直す事にした。
千歳空港から飛行機輪行で一旦、家に帰ったのである。
と、言う訳で Part 1はおしまい 。
7月 25th, 1998